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ゆるい 平成の前に生まれた古い腐のブログです

解像度ひくいシンエヴァの感想【ネタバレ】

普通におもしろかった+そこは良かった!+エッそれですか!?くらいの感情だったのですが、私の好きなfont-daさん、グダさんが第三村のシーンは上手くない、陳腐みたく書かれていて、そうなんだ、私はあれが好きでいいと思ったよなぜなら~とブコメしたかったけど、ネタバレになるのでこれを書くことにしました。

なので以下は全面的にネタバレです。

 

*私が第三村のシーンを好きだった理由

だってトウジがヒカリと幸せになってるんだもん!! 以上

これだけだと解像度ひくいにもほどがあるからもう少し丁寧に書きますと、私は、テレビシリーズの時からトウジがエヴァの男子で一番好きで、女子で一番好きなのはヒカリだったんですよ。
トウジとヒカリは、あんなめんどくさい世界にいながら、ずっと、優しい普通の少年少女でいてくれたじゃないですか。なんとかの槍とかなんとかチルドレンとかなんとか計画みたいなワケわからない台詞を言わず、大変な世界になってもいまの私たちとたいして変わらない日常を続け、トウジは妹のためにエヴァに乗ることを引き受け、ヒカリはトウジのためにお弁当を作ってあげようとする。ミサトの家を飛び出したアスカを受け入れて部屋に泊めてあげる。
彼ら個人の物語は、シンジやアスカ側の物語が好きな人にとってはわざとらしい雑音だったかもしれないけど、私は、彼らの側の物語があることで、そこから疎外されるシンジ君たちの物語も際だっていくと思ったし、何より当時すでに大人だったので、登場人物みんなギスギスして中二病だったら疲れてついていけなかったから、トウジとヒカリがいてくれて良かった、と思うわけです。
なのにテレビシリーズではトウジが悲しい結末を迎えてしまい、ヒカリのお弁当はどうなったの……で終わってしまいましたよね。
Qではトウジの妹と、古いシャツだけが登場し、トウジはニアサーで死んじゃったの?みたいな思わせぶりで、しかしそれ以上に鬱要素が多すぎてそれどころじゃなかった。
それが! 今回のシンエヴァになったら大人になってよりかっこよくなったトウジが登場して、相変わらずめんどくさいシンジや、いま不思議ちゃんかよな綾波シリーズをまったく責めず、余裕で受け入れてくれるじゃないですか。死んでない。脚もある。うわーん良かったトウジちゃんと生きていて良かったよ…と思いつつ、なんかトウジ家族いそうだね? 一人暮らしじゃなさそうだね? 的な空気があって、あっこれはもしかして……とこっそり期待したんです。
トウジに家族がいるなら、それは知らない人じゃないほうがいい、できれば私が知っているあの子であっていてほしい……と祈っていて、ついにヒカリが登場してくれたときには、よっしゃー!で心でガッツポーズ、感激でした。
言うまでもないけど私は脳の芯まで男性同士の愛と性の物語に溺れた腐女子で世界のすべてをそのような視点で見ているといっていいですが、そんな私でもごくまれに、この二人は応援したいと思う男女の組み合わせがあるんです。トウジとヒカリはその数少ない例外のひとつで、ここでヒカリが彼の子を抱いて登場したとき、ほんと良かった、あのお弁当はちゃんと受け取ってもらえたんだ…もう全部ゆるす、と思いました。
なんていうかね
ミサトやシンジ君達が命をかけて守ろうとしていたのはつまりこういう人の営みが続いてく世界なんでしょ それは、エヴァ本筋側にいる彼らの幻想、美化された世界かもしれないし、リアルに考えたら第三村みたいにきれいにならないといえばそう。でも、あの物語のなかで美しく描かれることで、小さき人が生きる世界への愛を感じられたのが嬉しかった。トウジとヒカリに私がずっと託していた、ささやかな祈りの続きがあった。ケンスケが、ニアサーがなければあの二人は結婚してなかったと思うと言ってて、ケンスケが言うならきっとそのとおりで、それまでの経緯を想像すると、明るいだけじゃなかったと思う。でもそこは(当然)深くつっこまない。村の描き方は本筋の緻密でハードな描き方と比べて拙かったかもしれないけど、作劇上のやっつけとは私は思いませんでした。あの村の人は、みんなこれが明日には終わる箱庭のお芝居みたいなことは理解していて、だから、その役割を演じることで、正気のアイデンティティを保っていたのかもしれないじゃん。トウジやヒカリがそれを自覚しているような台詞もあった。そうして、お芝居みたいなロールプレイングであっても、人の幸せを知らない綾波に、幸せだけを教えてくれて有難かった。私はアスカとレイなら圧倒的にレイ派で、レイはいつも、他人がどう言おうとそれがレイの幸せだという幸せを自分で見つけて、今回も、アスカに、お前のそれはプログラミング行動じゃんみたく言われても、べつにいいと言い切ってくれたので、レイ派でよかったと思います。
そんなわけで私は私が好きなトウジとヒカリにとって第三村が救済であり、綾波シリーズにとっても貴重な時間になってくれたので、あの描き方も含めてとても好きです。

ここでだいたい言いたいことは言ってしまったのですが、せっかくなので本来の?自分的な感想ももうちょっと書く

*ついに来た私に刺さる男×男の組み合わせ

えっ加持さん×カヲル君……!? 有りですね(逆も可)


まじめに本筋考えると、ねえよ!!な組み合わせなんですけど、人物像だけ考えると妙に納得感があり、私的にもエヴァで初めてアッと刺さったので嬉しかった笑
エヴァ時代、公式がカヲル×シンジを狙っていたというのは有名な話(真偽は知りませんがそう言われてた)で、当時のコミケカヲシンサークルが島ひとつ分を獲得したとき、密かに偵察に来ていたスタッフが凱歌を上げた、というのは腐女子伝説のひとつとなっているのですが
あくまで私的には、頭ではわかるけど情動のツボにハマらないといいますか、シンジ君とカヲル君(あえていうなら私はシンカヲ)の組み合わせは、「ポーの一族」のエドガーとアラン、「風と木の詩」のジルベールとセルジュみたいな、観念的な関係に見えたんですよ。
それは王道古典のBLじゃないのか!?と、あっちこっちから言われそう、たしかに王道古典なんですが、竹宮先生もみずからおっしゃっていたように、このあたりの少年×少年は、少女×少女の形を変えたものなので、美しいし、非常に大切な、尊い、ひかれずにいられない関係だけど、萌えとかやばいとかエロティックな意味では、少なくとも私には刺さらない。腐女子の嗜好ってそれとして濃くなればなるほど大人×大人を求める傾向があると思うんです、ショタは男性向けカテゴリって昔から言うし、少年、ショタ寄り属性持ちの腐女子はしばしば男性向けも描いてるってあるしね。
話戻して、エドガーとアラン、ジルベールとセルジュ、シンジ君とカヲル君に共通するのは「どっちか一人がどっちか一人をつねに引き受け、守って諭して何かを与えようと奮闘するのに悲恋に終わる」展開です。
Qでも自覚的にそう描かれていたように、カヲル君はいつもいつも、いつまでたってもシンジ君のために存在して彼を受け止めて彼になんか与えて死んでいく存在で、カヲル君という個人を、彼の物語を持っていなかった。彼が女子だったらフェミの人にめちゃ叩かれる役割じゃん、男子だったので萌えられちゃって苦労しながら幾星霜
それが! 今回、ラスト近くでなんかぐるぐるするうちに、初めて彼にも渚カヲルとしての存在、独白、感情みたいなものをもらえて、見た目少年だけど中身大人で、傍らにいるのがカヲル君同様、ずっと大人役で頑張ってきた加持さんだって!! やった!! アスカをいなし、ミサトを大人にして死んじゃった加持さんが、なななんとカヲル君の部下になり、なんですゲンドウと冬月ですかみたいな立ち位置とって仲良くしてる世界……なんだろうこの勝利感……真にいい男はガキや女なんかにあげないわよ的な……エスケーエイトのジョーはチェリーにしか心ゆるさないよねみたいな(ジョーチェリいいよね) 
私的にはここが一番のありがとうエヴァンゲリオンポイントでした。そこか。そこです。
シンジ君が希望に向かったあと、カヲル君ひとりで幻想のガワみたいになって知らん空間を漂う終わり、とかにならないでよかった。カヲル君もここまでの奮闘をちゃんとねぎらってもらえてよかった&急に出てきた新キャラの女を労いのように与えられるありがち展開じゃなくて本当に良かった! ありがとう!
もし公式が、エヴァを見ている腐女子ファンの心をここまで計算してたなら本当に凄いと思います。
カヲシン応援していた腐女子の人たちには申し訳ない、あくまで私的には理想の形でカヲル君が救済されたという感想です。大人のエヴァは新カプも大人……エドガーもアランを40年引きずらなくてもそろそろアーサーと幸せになってもファンは怒らないよ

 

*こんな解像度ひくいファンでも長く付き合えるエヴァってすごい
 

私にとってエヴァジブリと同じカテゴリにいる作品


こうしてみると私って、エヴァに熱狂した人たちのボリュームゾーンからことごとく外れてるんだな
コアになってる物語の読み解きや用語の意味とか全然知らんし、シンジが私と思ったことは一度もないし、細部を見つめて細かい意味づけを見つけて咀嚼したこともなく、旧劇場版と序と破はもはや記憶も曖昧だよ。ちなみに私の連れなんて、レイとアスカの名前もうろ覚えになってるだめ中年のおじさんですが、それでも、私も連れも、テレビシリーズから全部エヴァ見て、今回ようやくシンエヴァが公開されたら、当然のようにさくさく見に行く。
このいい加減な受容と確実な行動に共通するのがジブリ宮崎駿)アニメの鑑賞体験
ジブリも何度見ても細部はよくわからないし言語化できん
エヴァジブリに私が共通して求め、味わっているのは、整然として美しい、その魅力が誰にでもわかる絵を見る快楽と、あの画面から漂うノスタルジーなんですね。
新海誠は女と東京への目線が大大大嫌いだから絶対見ない)
結構、そういう人いるんじゃないかなあ
とくにエヴァはノスタルジーの比率高いです
電線や団地、工場、コンビナートの景色がたくさん出てくるだけでもう嬉しい
流れる音楽のドラマチックさともの悲しさに、幼い頃見た夕暮れの景色を思い出す
なぜマリは懐メロ歌ってんの? マリだから天地真理の「ひとりじゃないの」歌ってるの? なんとなくかな、つかこうへいも自分の心にピンときた歌謡曲から芝居を作っていたそうなので、庵野がずっと持ってる小劇場演劇的な演出方法なのかもしれない。私もずっと小劇場の演劇に親しんで来たから、そこもノスタルジーポイントなのかも。
という話を連れにしたら「映画ファンにとっても知ってる演出をたくさん見つけて喜んでしまうポイントがある」と言ってた じゃあそれなりにものを知ってきた中年の懐古なのかといえば、テレビシリーズの時には生まれてなかった高校生がいまエヴァにハマり中毒して、劇場に通って味わわないとあの綾波のように自分が崩壊してしまいそうだ、と語ってる話も聞いたので、心が新鮮な若い人に「ここではないどこか」を見せる衝撃もちゃんとあるんだろうなと思います。
コアなアニメやSFファンから、古い腐女子や現役DKまでそれぞれの理由で引きつけるエヴァってやっぱりすごい
これを書きながらいろんな感想や考察を読み、旧劇からのコアファンの怒り嘆きも感じました それも間違ってないだろうけど「庵野が勝手に俺たちを見捨てて商業化され大人になった」は旧劇の頃から繰り返し言われて、新劇場版でも序からずーーっと言われて続いてるから、中心から離れたゆるいファンには愛情表現に見えてしまうな エヴァだけじゃなく庵野秀明のおたくなんだなという人もたくさんいるので、いまはあんなに怒っていても、きっとシンウルトラマンが公開されたら(自称)骨を拾うつもりで見に行くんだろうな~ 私も見るからまたおもしろい怒りや呪詛感想も読めそうなので楽しみです!